この記事は、トレードにまつわる、執着や我執についての記事です。トレードで稼ぐ為には、手法以外にメンタルも関係しているかも、ってステージに届いている人にオススメの記事です。(この記事は約2分で読めます)
相場師はなぜ、損切ができないのか。
相場師はなぜ、自分が決めた資金管理ルールを破ってしまうのか。
相場師はなぜ、過剰売買(オーバートレード)するのか。
相場師はなぜ、ナンピンしてしまうのか、色々と考えてみました。
本日の結論
我にしがみついている間は人間は幸せになれない。
相場に限らず、人間が不幸や苦しみを感じるのは、可愛い可愛い我(=自分)が可哀想な目に遭った時です。
例) 公園で楽しく遊んでいる子供が、石につまづいて、膝をすりむいて自分が可哀想な目に遭った場合、子供は泣きます。
そこでお母さんが駆け寄って、「痛いの痛いの飛んでゆけ~」と世話をしてあげます。
すると、子供は母の愛情をもらって泣き止みます。
今のは児童の例ですが、人間というのは自分が可哀想な目に遭うのが嫌なのです。
そして人間は他人から愛情を注がれると、ご機嫌(=幸せ)になる存在なのです。
これって児童に限らず、大人も事情が同じで
大人も、自分が可哀想な目に合うのが嫌なのです。(愛情不足です)
そして、大人は顔で笑って実は心で泣いています。
煎じ詰めた事を言うと
人間は愛情不足 = 不幸
人間は愛情を注がれる = 幸せなのです
ここから先は、相場の話です。
相場というのは、損切が出てしまう世界です。また、含み益がローソクの逆行で小さくなってしまい、願ってた利益が実現しないこともあり、自分が可哀想になってしまいやすい世界なのです。
自分が可哀想になりたくないから、ナンピンしたり、リスクマネーを倍にして前回の損切をリカバリしようとしたり、損切を見送ったりするのです。
よく相場師関係のブログやTwitterを除くと、「メンタルが弱くて・・・」とか、メンタルの話になりがちです。あれは別に間違いでもないですし、嘘でもないんですが、
メンタル云々の前に、心が愛情不足な訳です。
可愛い可愛い我にしがみついているのです。(これを我執、がしゅう、と呼びます)
我にしがみついてる間は、客にクレームつけられたら可愛い我が愛情不足で苦しむわけです。
我にしがみついてる間は、上司から罵られた時に、可愛い我が愛情不足で苦しむわけです。
我にしがみついている間は、自分が病気になったら、可愛い可愛い我が不憫で愛情不足なわけです。(お見舞いとは、愛情の補給です)
クレームとか、上司の罵声とか、地下鉄で足を踏まれた、とか、株を損切った、とか生きていると色々と有るわけですが、ハッキリ言って、我執を克服できない間は可愛い我が傷つく毎日で人生が辛いわけです。
現代人が苦しんでいるのは、ハッキリ言って愛情不足です。
色々と考えましたが、トレード中に欲をコントロールできないのも、恐怖心に負けてしまったのも、我執(我良しの心) です。
我にしがみついている間は、人間はお気持ちが明るくなりません。
この解決策を過去記事でまとめたので、今が苦しい人は、お読みください。
相場師は避けて通れない話のはずです。
勝率が~、とか、損益比率が~、とか手法が~、とかテクニカルが~とか、大口が~、とかアルゴリズムが~ とか、そういう話も別に無駄ではないんですが、心がすべてを司っている訳です。
<人生は映画館です>
心=フィルム
現実=画面
です。
心(=フィルム)が飛ばした映像(=画面)を自分が見つめているのです。
例)〇〇高校に入りたい! という心があり、〇〇高校の卒業証書が現実化してるわけです。
GBP/JPYを売買したい、という心があり、ポンド円の損益が現実(=画面)に反映されているわけです。
今の奥さんと結婚するぞ!という心があり、今、同居という現実が反映されている訳です。
すべての現実は、心を起点としています。
現実や結果というのは、心の反映に過ぎません。(さながら映画館です、人生はバカでかい映画館なのです)
ですから、Yahooコメントなどで
芸能人の〇〇はぶりっ子だから嫌いで~とか
〇〇政権は無能だ!とか、
野球選手の〇〇は戦力外にしてしまえ! とかYahooコメントなどを見ていると目に入るわけですが、
映画館の画面にクレームつけても何も変化しないわけです、、、
大事な事は、フィルム交換(=心を入れ替える)です(起点なので)。
今、相場師で損益で悩んでいる人は、大事なのは手法じゃないかもよ? と1度疑ってみて下さい。
自分にしがみつく気持ちをもし捨てることができたら、何もかも上手くいきますよ!
詳細は、こちらの記事です。
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